2005.05.18

狙え、自己記録。〜ロードバイク・ロングライド〜

えにしだの 黄にむせびたる 五月かな (久保田万太郎)
「五月」は、「さつき」という表現の反面、暗さと重さという一面を持っていると考えられ、
この季節がもつ奥行き感や存在感を表現したいときに、
   「五月」は「さつき」としてはならなかったのでしょう・・・。

さて、前置きはこのくらいにして・・・。
今回の「よってらっしゃ〜い」は本気の修行を計画しました。
過去のネタにあるとおり、自転車で400kmもの距離を走り抜いた経験のある私(高橋)は
一年に一度の自由になりうる3連休を利用して、これを上回る記録を残してやろう!と計画しました。
実に2週間もの準備期間を要し、綿密な下調べと下準備に翻弄しておりました。
で、ついに実行の日取りがやってまいりました。
はたしてうまく事は運んだのでしょうか・・・?



5月に入り、スキーシーズンも終わりとなった。
いつものように、屋内トレーニング施設での練習に切り替わった頃、
第3週にやってくる3連休を意識していた。「ここしばらく長い距離を自転車で走ってないなぁ・・・」
こんな気持ちは絶好調に大きくなり、やがて「今年こそは再挑戦してやる!」に変わって行った。
そろそろ怪我をしてはならないという理由で、スキーのトレーニングもお休みに・・・と思っていた矢先、
チョッとした不注意から転倒!以前痛めた膝の靭帯をスキーの板で強打するアクシデントにみまわれてしまった。
ヒヤッとしたのと激痛が複雑に入り混じる。だが、まだ時間があるし単なる打撲と思っていたので
別になんとも思っていなかった。その後もスキーの練習は出来たし(そ〜っとだが)そんなに
痛いとも思わなかった。そして完全に自転車の準備へと移行した。
(画像はイメージで、そのときのものではありません。笑ヾ)


 

まずは行き先を検討。第一に候補に挙がったのは「新潟へ三国峠を越えて日本海まで」というプラン。
いつもマMYマップを作って事細かに記入し、コンパクトに携帯する。たまたま4月末に湯沢までスキーに
行くことになり、下道でルートを再確認することを実施。結果は残念ながら、自転車が長距離を走るには
あまりにも危険とストレスがかかると判断、かなりの時間をかけたがこちらは却下。
限られた時間の中で超長距離を走りこなすには、甘い考えで臨んではならない事を前回の400km走破
で十分に感じていたからである。そして次に候補に挙がったのは「秋田県田沢湖」であった。
同じように情報収集、こちらにはスキー仲間のH(雪山修行2005に登場してますね^^)が、
なんとビデオで国道4号の様子をスキーに行くついでに撮影してくれたのである。
(画像はMYマップの他に地図を切り抜いたものと、携帯する装備。なるべく軽量化する必要がある。)




実は、計画が出来上がったものの不安だった膝がまだ痛かったのである。というよりも痛みが増していた。
天気予報や風向きなどの情報収集と共に、膝のケアに努めていた。最悪は計画を断念する「勇気」も
必要であるとも考えていた。そして、時はやってきた。このところの低温や天候の不安定さに、判断は
二転三転していた。結果、装備したまま出勤し、勤務終了後夜のうちに現地入りし秋田から南下する
方法を選択肢に加え最終判断に備えた。なぜならば、自転車の場合風向きがかなり重要なポイント
となるからである。以前に210km(龍ヶ崎→茂木→大洗→龍ヶ崎)を走破した際に、向かい風区間が
長すぎて膝が動かなくなった経験があった。忘れられない痛みで、次の日の仕事は足を引きずってしまった。
翌日の予報は秋田岩手方面は日中南風、福島栃木方面は北風ということだった。
明後日はこちら方面も北、日中南がらみということで判断はさらに揺らいだ。
これだけの距離、丸々二日は最低でもかかるので、宿泊は山形と福島もしくは宮城の県境にある峠
付近ということになる。一日のうちで風向きが変わるのは非常に難しいのである。

出発の日、営業終了15分前に出した決断は「中止」であった。
風向きの不安定と膝に対する不安が総走行距離530kmに耐えられるものではないと判断した。
おとなしく自宅に帰り、3連休の過ごし方をゆっくり考えるとするか・・・。




初日を家事手伝いに費やした私は、妻の言いなりとなりおとなしくしていた。
計画断念の虚脱感と怪我に対する後悔がグルグル渦巻いていたのも事実。
ところが夜になって膝の調子がかなり上向きであることに気づく。あぁ、あと2〜3日あったらなんとか出発
出来たのかも・・・。しかし、自分は本当の馬鹿だった。一気に気持ちが盛り上がってしまったのである。
ふらっと軽くロングライドしてやろうと思いついた。どうせなら計画したルートを無駄にせず、
行けるところまで走ってみようと考えた。夜10時45分、昼寝を少ししたのをいいことに妻を説得。
おもむろに夜のしじまに飛び出した。こんなとき何も言わず送り出してくれる妻には感謝している。
(画像は自転車の傍らにいる私は出発時に妻が撮影してくれた。夜の走行は通勤時とはまた違うものだった。)


 

土浦〜岩瀬は自転車道路使うつもりだったが、夜中のルートは考えていなかったため
県道クラスの一般道を走行してきた。予報は栃木までは北風。
夜のうちは風が強い日は少ないため、日中の南風が強まる方に賭けた。
ところが筑波山が近づくにつれ向かい風が強まった。おいおい聞いてないよ!とばかりに顔をしかめる。
まあ筑波おろしとでも言うのでしょう、山があると風は谷あいを抜けるためビル風のように強くなるのかな?
しかしそれにしても強い風だ・・・。先行き不安だなあ、ちょっと休憩するか。
(画像は1時16分46km地点、休憩のために寄ったコンビニにて。気温も低く寒いのでカップ麺を食す。)


 

岩瀬までのルートは夜というためか、途中迷ってしまい結局りんりんロードを使う。
ご覧の通り真っ暗闇である。なんだか出てきそうで、だから嫌だったんだよな〜。
岩瀬駅(りんりんロード)の石碑が墓石に見える。ゾォ〜(-_-;
(2時55分70km地点、茨城県終了。風は強いまま収まらず、寒さゆえ予備の防寒着を着用する。)




夜がいつの間にか明けていた。ここまで国道を使わず県道クラスに迂回し続ける。
おにぎり(玄米を一合炊いた巨大なものを持ってきた。)をほおばる。冷たくてまずい。
コンビニのおにぎりの方が数段旨かったかも知れないし、玄米は冷めると石のように硬かった。
相変わらず風は向かい風で寒い。すでにだいぶ足を使ってしまった。
(4時30分芳賀町の運動公園にて。30分くらい休んでしまった。このペースはかなり遅い。)


 

雲が空を厚く覆っている。早く日差しが欲しいところだ。
おっと「荒川?」思わず江東区に流れ込む荒川を想像してしまうが、こちらは那珂川に流れ込む。
上流は東荒川と西荒川に分かれ、塩谷町のダムでまた合流する。
目立つ施設や観光名所も道沿いにはまったくない。


 

聖徳太子?川の中の鳥居?目立つものといったらこんなものしかない。
しかし、こんなところに聖徳太子が眠っているはずもないが・・・?
調べて見ると、聖徳太子の石碑はあちらこちらにある様子。鳥居もものすごい意味はないようだ。
(5時56分120km地点。湯津上村にて。)


 

黒羽で、芭蕉は門弟らの人情の機微に触れながら14日間にわたって逗留したらしい。
これは「奥の細道」の旅における一箇所の逗留期間としては最長である。
芭蕉に関わる大概の場所に説明板が建てられ、格段にわかりやすく、親切な「ゆかりの地」となった。
トイレもおもむきのある造りである。実はここ、ミスコースで通りかかったのだ。


 

ここの信号、どう見てもT字路である。しかし、信号機は4つ・・・。
右側には道はない。???何故に???
艶ホのポスト?ここは石やさんらしい。しかし、こんな道路際に置いて郵便物出されないのだろうか?
世の中面白いものがあるものだ。


 

東山道伊王野道の駅にてロング休憩することに。
8時45分ここまで144km、やっと少し暖かくなってきたのでウインドブレーカーと予備のパンツを脱ぐ。
足が相当にイカレてきた。強く踏むと攣ってしまいそうな感覚と、膝が壊れそうに痛い。
向かい風とダラダラずっと登り坂はかなりこたえてしまった。
マッサージオイルで入念にケアをする。どこまで行けるか非常に不安だ。9時40分再スタートする。


 

やっと少し太陽が覗いてきた。気温もだいぶ上昇するが、まだまだ涼しい感覚。
この辺は採石が盛んな様子で、大きな岩がゴロゴロしている。
栃木県那須町寄居。


 

10時11分155km地点、福島県に入る。県境を越えたところで白河の街中を抜けるルートで
痛恨のミスコースを犯した。ボーっとしていたためか難しくないところを見逃した。
すでにだいぶ坂を上ってしまったため、戻る決心がつかなかった。
別ルートを検討しながら、道路わきで身体を伸ばす。本当は寝転んでしまいたい・・・。


 

別ルートは国道4号。つかれきった身体に車道と歩道の行き来は辛い。
なんでこんな道なんだ!歩道の方が段差も手入れもまったくといって良いほどなってない。
これは危ない。しかし、この交通量は半端じゃない。トラックやトレーラー、ダンプなんかが通ると
路側帯は地獄への入り口でしかない。やっと風が変わって南になってきたというのに・・・。


 

189km地点でコンビニ休憩30分。食事とマッサージに費やす。
さすがに国道4号はこたえた。やっと路側帯が広いところが出てくるがほんのわずか。
大きな立体交差は橋を渡れず、一旦下に下ろされ信号待ちをする。辛い。


 

やっと微妙に下りに入り、風も追ってきたのに走るスペースがない。
ダラダラのペースを一気に挽回するチャンスなのに・・・。これからの道のりの為に向かい風に耐えたのに・・・。
なんと車道から歩道に回避する時に段差で転倒!疲れた身体にさらにダメージを与えてしまった。
膝と肘に傷を負った。肘は擦傷があり出血している。自転車にもダメージが・・・。
ハンドルのバーテープが無残にも破けている。13時07分193km地点の出来事。


 

郡山に近づくと益々走りづらい。微妙に下っているので車道に出られさえすれば時速50kmは出せる。
なのに歩道を走らされることがほとんどだ。それにも耐えて、やっと市街地を抜けた。
目の前に広がる安達太良山、磐梯山。ここを越えれば山形県になる。
さあ、真っ直ぐ抜ければまだ国道4号、左折すれば会津方面。
交差点で座り込み地図を見つめ今後の判断をしていた。
そこにたまたま自宅からTELが入る。子供が病院に行ってきたとの事。
咳き込んでいたので気にはしていたが、やはり・・・。もうひと頑張りして、なんとか山形県に入りたいところだ。
しかし、今回の状況では目の前に広がる峠を克服する自信がない。せめて一泊出来れば
状況は確実に何とかできる感触はあるが、今日中に帰ってやりたい気持ちもある。
一番のメインに考えていた土地を目の前に、観光するわけでもなく帰還するのはツライ。
しかし、帰りの新幹線からルートを外れる会津行きはおそらく今日中には帰れないだろう。
国道4号をまた北上するのも、もうこりごりだ。傷ついた肉体と苦しんだ精神に拳を握った。
13時50分200km地点で終了を決断した。
悔いが残るが、また来ればいい。
状況を味方に出来なかった自分に責任があるのだから。
不思議に安堵感が沸いてきた。おそらくあそこで電話が無ければ会津方面へ向かって行ったに違いない。
そのルートは景色は良いと思うが、下調べをまったくおこなっていない。つまり危険が大きいということだ。


 

電話を切ると郡山駅に向かった。7kmほど戻ることになる。
車輪を外し、自転車をコンパクトにする。暖かな日差しが夜中の寒さと厳しさを忘れてしまったように降り注ぐ。


 

ひとっとびで帰還する。今回は座席指定で車両最後部の座席を確保した。
15時36分発の東京行きに乗る。常磐線も夕方のラッシュ前ギリギリに乗れるだろう。
今回はおみやげも買う暇が無かった。家族よすまぬ。


 

車内でコーヒーを飲みながら、くつろぐ。あぁ、疲れ切った。
佐貫駅に着くと再度自転車を組み上げて、自宅まで帰る。
トータルで211kmの走行であった。う〜ん・・・400km走った時より苦しかった。


 

今回はこのコンパスが大活躍した!これは前日に買い揃えたものだが、無かったら
県道をつないで走りきる事は不可能だったであろう。次も必ず携帯するはず!




あ〜ぁ・・・とりあえずアイシングですかね(^_^;)
今回の修行は惨敗でした。
私の「五月」も「さつき」とはいかなかったようですね。
しかし、次へのおおきなステップとしていい経験になりました。
まだまだ「カリスマ体育会系美容師」になるための修行は続くのであった?